2022年3月9日 更新

3.11「東日本大震災」から11年...あの日の記憶から何を伝えられるか

東日本大震災から歳月を重ねるごとに震災を体験した私たちの生活は新しい環境へと変わってきました。しかしその日から刻んできた記憶を消し去ることはないです。毎年3.11が近づくと心がざわつきます。その一方で社会の震災に対する思いは風化が懸念されています。東日本大震災を体験した私たちの言葉が、これから予想される南海トラフ地震、首都直下型地震などに少しでも役立てていただければ幸いです。

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【3.11伝承ロード・石巻地域周遊伝承バスツアー】に行ってきました | リビング仙台Web

神様!助けて!

あの日、14時46分。宮城県石巻市に住んでいた私は勤務先の会社にいました。

いつものように午後のデスクワークをし、もうすぐ3時のお茶の時間。と、その時、ゴーという地鳴りがして建物が揺れ始めました。初めは「2日前の3月9日に起こった地震の余震だよ...大したことはないよ...大丈夫!大丈夫!」と、慌てる同僚を落ち着かせるように冷静を装っていました。

ところが!その揺れは想像を超え、これからさらに何が起ころうとしているのか、ただただ恐怖の中でみんなの悲鳴と泣き叫ぶ声が。揺れは治まるどころかどんどん強さを増し止まらない。

ガシャーン!バターン‼と物が倒れるなか「神様!助けて!!」と叫びながら床に這いつくばり、このままこの世が終わるのではと思いました。
揺れは想像を超え

揺れは想像を超え

やっと揺れが落ち着き、我に返ると社内はさんざんな有様でした。
机も棚もパソコンも書類も電話もすべての物が元の位置にはありません。

慌てて家族に連絡を取ろうとするも、携帯電話の通信はすでにアウトでした。
停電になり固定電話もダメ。いつも社内で聞いているラジオもテレビもダメ。防災無線も聞こえてきません。

ノンフィクションのドラマ

揺れが治まり何も情報がないままただ茫然と社内の片づけをしていました。
その場にいた私たち数名の社員は防災に関して全くと言ってよいほど無知でした。
大地震の後にあの恐ろしい大津波が来ることなど、これっぽちも想像すらしませんでした。


私の職場は建設業でした。工事現場にいた社員が次々と「津波が来る!早く逃げろ!」と血相を変えて戻ってきました。促されるまま、各々自家用車で山の高台に猛スピードで避難しました。その後 会社に津波が押し寄せ、あと5分逃げるのが遅ければ....

けがもなく一緒に逃げたみんなが無事だったことにお互い安堵したとき、避難した山の上から、向こう岸の川を壁のように反り立ち、1波、2波と遡上していく津波を見ました。
私は「あーあれが津波なんだー」と無感情のまま見下ろしていたことを覚えています。

その津波の中に私の夫、友人、隣人、地域の子供たち、住みなれた家、地域のすべてが一緒に流れていったことも知らずに....。
震災ではそれぞれにノンフィクションのドラマがありました。


恐怖の体験

辛すぎて悲しすぎてやり場のない思い

寄り添ってもらえたありがたさ

みんなの絆



被災した私たちはもちろん。

地獄絵のような中で懸命の救助・捜索活動をしてくれた自衛隊、警察官、消防士、海外の皆さん。

あらゆる支援を暖かな気持ちで助けてくれたボランティアの皆さん。



語りつくすことがないそのドラマは、ひとり、ひとり、違うもの。

そしてそれをいまだ自分の心の中だけに閉じ込めている人も。



無念な人生を終えた多くの人達の為にも

一人一人の記憶の語り継ぎは後世への伝承のひとつになっていくことでしょう。



東日本大震災。石巻市では3277人が亡くなり(直接死のみ)
約3万3000棟の建物が全半壊。

救助・捜索・支援に心から敬意と感謝の日々

海水と泥とがれきそしてご遺体。何もかもが過酷すぎる中での救助、捜索活動の辛さはその場にいた人しかわからないこと。

2022年3月現在 石巻市の行方不明者は414人もいます。

今もなお不明者発見の手がかりを求め捜索活動は年に数回行われています。少しでも多くの人が家族の元へ帰れるように。
宮城県石巻市福地(ふくじ)地…:【東日本大震災】宮城県石巻市の状況 写真特集:時事ドットコム

来る日も来る日も行方不明者捜索とご遺体の安置に携わってくれた自衛隊、警察官、消防士
宮城県石巻市のボランティアの…:【東日本大震災】宮城県石巻市の状況 写真特集:時事ドットコム

ボランティアの拠点になった石巻専修大学。構内には色とりどりのテントが張られ、「衣・食・住」を自前で賄うボランティアがここから悲惨な現場へと出動した。

ボランティアの人たちがこのようにテントで寝止まりして助けてくれことを、私は今初めて知りました。
衣食住すべてを失った私たちにとってボランティアさんのあたたかさは本当に身に染みました。その中には有名人もいてどんなに励まされたことか。

石巻市の3月は春が近いといえまだまだ寒く、温かい汁ものに暖かい着替えを提供して頂き忘れられません。

泥の中から、大切なものだったのだろうと思われる品々を拾って体育館に並べてくれました。
かばん、ひな人形、名前の付いた体操着、ランドセル、学用品、お位牌、結婚指輪まで。

その日までの生活がそこにありました。

特に写真は1枚1枚洗浄し、できる限り修復した形でアルバムに入れてくれました。その中から自分たちの思い出を必死に探し、涙が止まりませんでした。

応急仮設住宅での生活

仮設住宅

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