すぐに車で高台へ避難
実際高台には逃げましたが、心のどこかで、津波なんか来ないだろう、でも一応逃げておけば間違いないから、みたいな感覚があったと思います。
高台の駐車場には続々と車が入ってきていました。
車中ではラジオを付けて地元の放送局を聞いてはいましたが、私が住んでいた地域の情報を語られることはなかったので(聞き逃していたかもしれません)、この地区には津波は来なかったのかなと、かなり楽天的に思っていました。
あんな大きな津波がすぐそばまできていたこと、そして福島原発があのようになっていたことなど、この時点ではこれっぽっちも知りませんでした。
車中ではラジオを付けて地元の放送局を聞いてはいましたが、私が住んでいた地域の情報を語られることはなかったので(聞き逃していたかもしれません)、この地区には津波は来なかったのかなと、かなり楽天的に思っていました。
あんな大きな津波がすぐそばまできていたこと、そして福島原発があのようになっていたことなど、この時点ではこれっぽっちも知りませんでした。
しばらく夫と大学生の長男と連絡が取れず心配でしたが、夫とはその日の夕方に連絡が取れました。
長男の大学は仙台市内の内部にあったので、絶対に無事でいてくれると信じていました。というか、そう思うしかなかったです。
長男の大学は仙台市内の内部にあったので、絶対に無事でいてくれると信じていました。というか、そう思うしかなかったです。
一夜明け、目の前には信じられない光景が…
一夜を車中で過ごし朝を迎え、明け方に車から降りて、何気なく下を見下ろした時…とても信じられない光景が広がっていました。
何が起こったのか、しばらくは理解できなかったです。
つい、数時間前まで、誰かが住んでいたであろう家が、ボロボロになり、ぐじゃぐじゃになり、あっちこっちに、至る所にありました。
見慣れたお宅もありました。
何が起こったのか、しばらくは理解できなかったです。
つい、数時間前まで、誰かが住んでいたであろう家が、ボロボロになり、ぐじゃぐじゃになり、あっちこっちに、至る所にありました。
見慣れたお宅もありました。
「津波が本当に来た!家も駄目だったんだろうな、きっと…」
そう思いながらひとり肩を落としてぼんやりと立っていたら、近所の方が通りかかり、私の家は無事なこと、そして自宅に通じる道路には電柱が倒れているので、車では通れないことなどを教えてくれました。
そう思いながらひとり肩を落としてぼんやりと立っていたら、近所の方が通りかかり、私の家は無事なこと、そして自宅に通じる道路には電柱が倒れているので、車では通れないことなどを教えてくれました。
いろいろな地域の津波が来た瞬間をテレビでよく見ましたが、ゴーッとすごい音がして、バリバリバリと建物が壊れ、高台からそれを見ていた人たちがみんな叫んだり泣いたりして…というものが多いですよね。
でも私が避難していたところは、なぜかとても静かで、津波が来たのか来ていないのかさえわからないという状況でした。
車中から出ている人もいなかったので、あの場での津波を見た人はほぼ、いないと思います。
でも私が避難していたところは、なぜかとても静かで、津波が来たのか来ていないのかさえわからないという状況でした。
車中から出ている人もいなかったので、あの場での津波を見た人はほぼ、いないと思います。
そして、母を避難所にお願いして、車をその場に置いたまま、私と次男は自宅に徒歩で戻ることにしました。
がれき、泥の中を歩きながら自宅についてみると、駐車場には泥がたまり、少々がれきがあったりしたものの自宅は無事で、胸をなでおろしました。
近所では、床上浸水のお宅も多かったです。
近所では、床上浸水のお宅も多かったです。