この頃あたりから、少しづつ携帯がつながるようになってきていました。
が、相変わらず長男とは連絡が取れず、祈るような気持ちで過ごしていました。
が、相変わらず長男とは連絡が取れず、祈るような気持ちで過ごしていました。
片づけをしていると、昼過ぎに夫が徒歩で自宅に帰ってきました。
会社の駐車場に置いていた車は津波をかぶったので、たぶんだめだろうと。
会社の駐車場に置いていた車は津波をかぶったので、たぶんだめだろうと。
がれきの中の帰り道、もし今、地震が来たらここに逃げよう、あそこに逃げようと、高い建物を確認しながら歩いて来たそうです。
あの日あの時、みんなそれぞれにドラマがある
会社の人からのメールで、会社が流されてしまったこと、その時出勤していた同僚はずぶぬれになりながら自衛隊に救出され、九死に一生を得たこと、そしてその人の家と車が流されたことなどを知りました。
もしもあの時会社にいたら、自分ならどうしていただろうか、と考えました。
もしもあの時会社にいたら、自分ならどうしていただろうか、と考えました。
もしあの時ああしていたら、ああだったらは人生につきものですが、この震災の時ほど、それを実感したことはありません。
そしてそれが、生死につながっている…。
震災の時のいろいろな方の話を見聞きしますが、本当にみんなそれぞれにドラマがあります。
そしてそれが、生死につながっている…。
震災の時のいろいろな方の話を見聞きしますが、本当にみんなそれぞれにドラマがあります。
そして、震災から二日後、長男から待ちに待ったメールが届きました。随分と遅れて届いていたようです。
我が家の場合、子どもたちがもう大きく、一人で判断や行動ができる年齢になっていましたので、そこまでは心配はしませんでしたが、地震の時、お子さん一人でお留守番していたご家庭のことを考えると、子どもはどんなに不安で心細く、そして親御さんはどんなに心配だったことでしょうか。
私が仕事の時には、小学校低学年の時から子ども一人で留守番をさせていたので、本当にその気持ちがよくわかります。
私が仕事の時には、小学校低学年の時から子ども一人で留守番をさせていたので、本当にその気持ちがよくわかります。
ライフラインですが、普及したのは水とガスはひと月後、電気は一週間後でした。
そのことについては、また別記事でお伝えしたいと思います。
そのことについては、また別記事でお伝えしたいと思います。
via amzn.to